ロボコップ1を見て ― 2008年08月16日 16時57分54秒
仕事明けの暇に、ロボコップ1を見ている。
もち、2,3も見た上での話である。
ルイス、
彼女もロボコップ2にしたかったな。
そして、マフィーと共に・・・
ロボコップ3では、市民を救ったヒロインである。
できればこの段階で、それこそロボコップ2号として再生して欲しかったな。
私が泣けたのは映画上、無辜の市民を助けたルイスであり(マーフィーの際は物語のはじめでもあり、涙の場面ではなかった。 2ではあるが(奥さんとの場面のこと))、
マフィーと同等の資格があるのでは。
3の、死ぬ段階まではなんとなく普通の警官(荒くれ者の(これは非難でなく、警官という職務を遂行するにはある意味荒くれ者の気質がなければ遂行できないが))だが、
死ぬときの気持ち(無辜の市民を救うべきだという)はマーフィーと同じに近づいたと思う。
(マーフィーと同じ警官としてはどうかと思うが・・・映画を見る限り彼の方が適材だが)
だからこそ、資格があるのではないかな。
ただ、何が善で、何が悪かは私にはわからない。
私は神でも聖人でもなく、
只40前の経験もない輩だから。
ただ、私の価値観からはそう言えるだけである。
ASAHIネットは思想の一部を公表していく。
もち、2,3も見た上での話である。
ルイス、
彼女もロボコップ2にしたかったな。
そして、マフィーと共に・・・
ロボコップ3では、市民を救ったヒロインである。
できればこの段階で、それこそロボコップ2号として再生して欲しかったな。
私が泣けたのは映画上、無辜の市民を助けたルイスであり(マーフィーの際は物語のはじめでもあり、涙の場面ではなかった。 2ではあるが(奥さんとの場面のこと))、
マフィーと同等の資格があるのでは。
3の、死ぬ段階まではなんとなく普通の警官(荒くれ者の(これは非難でなく、警官という職務を遂行するにはある意味荒くれ者の気質がなければ遂行できないが))だが、
死ぬときの気持ち(無辜の市民を救うべきだという)はマーフィーと同じに近づいたと思う。
(マーフィーと同じ警官としてはどうかと思うが・・・映画を見る限り彼の方が適材だが)
だからこそ、資格があるのではないかな。
ただ、何が善で、何が悪かは私にはわからない。
私は神でも聖人でもなく、
只40前の経験もない輩だから。
ただ、私の価値観からはそう言えるだけである。
ASAHIネットは思想の一部を公表していく。
宇宙戦艦ヤマト考(何回目だか忘れた・・・謝) ― 2008年07月11日 17時06分02秒
「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」の連続性はあると思う。
もちろん、全部ではない。
あくまでも、沖田と古代と森との関係に於いてだが。そうそう、デスラーも。 笑
テレビ版とさらばを見れば、
テレビ版最終話とさらばの最期の沖田と古代の会話はつながりうる。
(強引なこじつけだけどね 笑)
テレビ版の時は、
古代はどちらかと言えば、個人的意志(感情)優先である。
家族(両親・兄)のことであったり、雪のことであったりする。
しかし艦長室で沖田に諭される。
地球の人々と繋がっていると・・・
沖田自身には個人的な面は昇華し、地球人全てに渡っている。
(人間沖田としては違う。家族の写真を見ている以上、やはり個人的なものは捨てていない。
只、社会人としては見せていないだけだろう。
そこがとの物語の深いところでもある。
ところで、あの写真の女性は誰でしょう?
男は息子だと容易に想定できるが、女の子は?息子の嫁か、娘か?
前者なら別に実子がいるのだから同情・悲しみの量は下がるが・・・)
それであるが、テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」では、
古代にはまだ「わかったような気がします」である。
古代がそれを身をもって実行に移すのは「さらば」である。
「さらば」では、沖田と同じ様に古代が個人的面を失うことなく、
かつ、個人的意志を昇華させている。
(「さらば」における批判の多い意味不明の沖田との会話もある程度、
テレビ版ヤマトの最期を見れば繋がる。)
「公を優先する。ただ私も忘れているわけではない」ということか。
しかもテレビ版「宇宙戦艦ヤマト」では沖田の台詞のない部分で語られる私の部分が、
「さらば」では雪の行動で裏に隠れた私の部分が強調される。
今度は私を押さえ公を優先する古代について行く。
これは最期を見ればわかるので書かない。
(実は、一番最後(生者は古代だけで他は全てが古代にのみ見える幻影のシーン)が私が号泣する場面である 笑 普通の人とは異なる理由だと思うが。ま、それは後日)
だからといって、沖田は病死、古代は特攻死(必ずしも私はこう思わないが)
することはないという、後者の松本零士の気持ちもわかるが、
ここはやはり私も「宇宙戦艦ヤマト2」は駄作(ウィキペディアより)と評価する。
また、
テレビ版で最期までヤマトに執念を燃やす
デスラーの意味のないしつこさも理解できる。
「ガミラスの再建とヤマトへの復讐」
たとえ、先住民(つまりは地球人だが 笑)を滅ぼそうとはしても、
自身の守るべきガミラス人を守るという手段は違っても努力の一つだと言える。
「さらば」でデスラーが古代に言っている。
「破壊と侵略に明け暮れる・・・より、遙かに君たちに近い・・・」と。
これもテレビ版「宇宙戦艦ヤマト」を見ていれば理解できる。
こう見ると、テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」は一セットである。
そして、映画版「ヤマト」は「宇宙戦艦ヤマト2」と一セットと私は評価してしまう。
(スターシャの生死よりも、藪のエピソードの有無が映画版とテレビ版の「ヤマト」の違いであり、
それが前提で、上記の評価になっていることを付記する。
ただ、「さらば」で残念なのはゼロ号版フィルム、脚本版が正式版(?)の「さらば宇宙戦艦ヤマト」であって欲しかった・・・。
(出典:集英社 ロードショー責任編集 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち Vol.2)の脚本
(くっそー どこかにあるはずだが所在不明 泣)
ここには、
土方の艦長就任の経緯
「宇宙戦艦ヤマト2」では残されている、
英雄の丘での「佐渡と古代の会話」
がある。
これがないと、本当の
テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」は一セット
と言う本当の評価は出来ないのだが・・・
(参考http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfamp703/index.htm)
ここまでの話、酔っぱらいの戯言として記憶して貰おうかな。笑
(しらふでの編集はしていない)
もちろん、全部ではない。
あくまでも、沖田と古代と森との関係に於いてだが。そうそう、デスラーも。 笑
テレビ版とさらばを見れば、
テレビ版最終話とさらばの最期の沖田と古代の会話はつながりうる。
(強引なこじつけだけどね 笑)
テレビ版の時は、
古代はどちらかと言えば、個人的意志(感情)優先である。
家族(両親・兄)のことであったり、雪のことであったりする。
しかし艦長室で沖田に諭される。
地球の人々と繋がっていると・・・
沖田自身には個人的な面は昇華し、地球人全てに渡っている。
(人間沖田としては違う。家族の写真を見ている以上、やはり個人的なものは捨てていない。
只、社会人としては見せていないだけだろう。
そこがとの物語の深いところでもある。
ところで、あの写真の女性は誰でしょう?
男は息子だと容易に想定できるが、女の子は?息子の嫁か、娘か?
前者なら別に実子がいるのだから同情・悲しみの量は下がるが・・・)
それであるが、テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」では、
古代にはまだ「わかったような気がします」である。
古代がそれを身をもって実行に移すのは「さらば」である。
「さらば」では、沖田と同じ様に古代が個人的面を失うことなく、
かつ、個人的意志を昇華させている。
(「さらば」における批判の多い意味不明の沖田との会話もある程度、
テレビ版ヤマトの最期を見れば繋がる。)
「公を優先する。ただ私も忘れているわけではない」ということか。
しかもテレビ版「宇宙戦艦ヤマト」では沖田の台詞のない部分で語られる私の部分が、
「さらば」では雪の行動で裏に隠れた私の部分が強調される。
今度は私を押さえ公を優先する古代について行く。
これは最期を見ればわかるので書かない。
(実は、一番最後(生者は古代だけで他は全てが古代にのみ見える幻影のシーン)が私が号泣する場面である 笑 普通の人とは異なる理由だと思うが。ま、それは後日)
だからといって、沖田は病死、古代は特攻死(必ずしも私はこう思わないが)
することはないという、後者の松本零士の気持ちもわかるが、
ここはやはり私も「宇宙戦艦ヤマト2」は駄作(ウィキペディアより)と評価する。
また、
テレビ版で最期までヤマトに執念を燃やす
デスラーの意味のないしつこさも理解できる。
「ガミラスの再建とヤマトへの復讐」
たとえ、先住民(つまりは地球人だが 笑)を滅ぼそうとはしても、
自身の守るべきガミラス人を守るという手段は違っても努力の一つだと言える。
「さらば」でデスラーが古代に言っている。
「破壊と侵略に明け暮れる・・・より、遙かに君たちに近い・・・」と。
これもテレビ版「宇宙戦艦ヤマト」を見ていれば理解できる。
こう見ると、テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」は一セットである。
そして、映画版「ヤマト」は「宇宙戦艦ヤマト2」と一セットと私は評価してしまう。
(スターシャの生死よりも、藪のエピソードの有無が映画版とテレビ版の「ヤマト」の違いであり、
それが前提で、上記の評価になっていることを付記する。
ただ、「さらば」で残念なのはゼロ号版フィルム、脚本版が正式版(?)の「さらば宇宙戦艦ヤマト」であって欲しかった・・・。
(出典:集英社 ロードショー責任編集 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち Vol.2)の脚本
(くっそー どこかにあるはずだが所在不明 泣)
ここには、
土方の艦長就任の経緯
「宇宙戦艦ヤマト2」では残されている、
英雄の丘での「佐渡と古代の会話」
がある。
これがないと、本当の
テレビ版「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」は一セット
と言う本当の評価は出来ないのだが・・・
(参考http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfamp703/index.htm)
ここまでの話、酔っぱらいの戯言として記憶して貰おうかな。笑
(しらふでの編集はしていない)
テレビ版DVD「宇宙戦艦ヤマト」第12・21話私見 ― 2008年07月09日 23時06分25秒
さて、仕事明けで、一杯(大量に 笑)飲んでいるついでに厭きずに「宇宙戦艦ヤマト」私見を書こうな。(酔っぱらいのたわごと(戯言)だが)
さて、どこから・・・書こうかな?
では、今回はテレビ版第12話「絶体絶命!オリオンの願い星・地獄星」の私見を書こうと思う。
ここで好きなのは、沖田艦長が映画版のように完璧でなく、人間的な弱みを持っているところである。
映画版では、
沖田は古代が沖田の指令(命令)を待たず(戦闘班長だからある程度の権限移譲は合ってしかるべきだが・・・)、ミサイル迎撃指令を出したことに対して、
沖田が古代に、その後、佐渡に言ったある意味かっこいい台詞がある。
「私には艦を守る責任がある」と発言し、映画版では古代を叱り、佐渡を煙に巻く場面(?)しかない。
ところが、テレビ版では後日(時?)談がある。
テレビ版では、続けて佐渡曰く
「しかし、現にミサイル発射の指令が遅れたたんでしょうが。云々」
と、まさに沖田の弱点を突く発言をしている。
認められないという意見もあると思うが、実に人間的であり人間・沖田らしい面とも言えると思う。
私にはここは好きな場面ではある。
今、見続けているが、それで思い出したことに、
第21話最期のドメルとの戦いの前にする水杯が、
「これは、死を意味するものではない。もう一度、君たちと共に勝利の宣言をする為の」云々という、
通常と異なる意味も実は大好きである。
ま、そのように生き残ることを重視しているのに一部(?)の論者の特攻賛美(とは全然!思わないが)だと主張する「さらば」の方が好きなのはおかしい!との批判があり得るのは甘受する・・・
わたしだって特攻は反対である。
しかし、
話も通じない場合(強盗に死ねと言われて、はい、死にますとは言えない)は、
しなければならないときはしなければならないのである。
(説得・妥協できるならするべきだが。)
ま、異なる意見を否定はしない。
あくまでも私の私見である。
では、これまで。
また、次回
さて、どこから・・・書こうかな?
では、今回はテレビ版第12話「絶体絶命!オリオンの願い星・地獄星」の私見を書こうと思う。
ここで好きなのは、沖田艦長が映画版のように完璧でなく、人間的な弱みを持っているところである。
映画版では、
沖田は古代が沖田の指令(命令)を待たず(戦闘班長だからある程度の権限移譲は合ってしかるべきだが・・・)、ミサイル迎撃指令を出したことに対して、
沖田が古代に、その後、佐渡に言ったある意味かっこいい台詞がある。
「私には艦を守る責任がある」と発言し、映画版では古代を叱り、佐渡を煙に巻く場面(?)しかない。
ところが、テレビ版では後日(時?)談がある。
テレビ版では、続けて佐渡曰く
「しかし、現にミサイル発射の指令が遅れたたんでしょうが。云々」
と、まさに沖田の弱点を突く発言をしている。
認められないという意見もあると思うが、実に人間的であり人間・沖田らしい面とも言えると思う。
私にはここは好きな場面ではある。
今、見続けているが、それで思い出したことに、
第21話最期のドメルとの戦いの前にする水杯が、
「これは、死を意味するものではない。もう一度、君たちと共に勝利の宣言をする為の」云々という、
通常と異なる意味も実は大好きである。
ま、そのように生き残ることを重視しているのに一部(?)の論者の特攻賛美(とは全然!思わないが)だと主張する「さらば」の方が好きなのはおかしい!との批判があり得るのは甘受する・・・
わたしだって特攻は反対である。
しかし、
話も通じない場合(強盗に死ねと言われて、はい、死にますとは言えない)は、
しなければならないときはしなければならないのである。
(説得・妥協できるならするべきだが。)
ま、異なる意見を否定はしない。
あくまでも私の私見である。
では、これまで。
また、次回
第1話 ― 2008年05月21日 23時49分21秒
今、第1話見ている
ま、気が向いたときにいつも見ているが・・
ま、気が向いたときにいつも見ているが・・
テレビ版DVD「宇宙戦艦ヤマト」25・26話を見て ― 2008年05月21日 23時44分32秒
スターシャ、サアーシャと森雪に似ているのは松本 零士監督なら当然だろうな 笑
私自身、当時ガキだったので古代進ほどわからなかったが、
結婚した今は、イスカンダルに残った守の気持ちもわかるなぁ〜
愛する人のためか・・・泣けるねぇ〜
よく考えれば、笑える。
デスラー艦がヤマトの横っ腹にぶつかったのは。
ま、そして軍人としての素養があればデスラーがその状況を利用したのは当然であろう。
しかし、雪を死なせたのは泣ける。(まあ、後半につなげる為だったのにはいいが・・・ 誰の演出かわからないが好きである。「さらば」につながり得るから・・・。
まあ、沖田艦長の子息が生き返らないのは別だが。
(ま、古代守のみならず、彼まで生き延びたら「宇宙戦艦ヤマト」に失望するが 笑)
古代は個人レベル。(所詮今の私もここだが)
しかし、沖田のレベルは、個人を超えている。(ま、でなきゃイスカンダル往復の為の艦長(司令官)にはなれないだろう イスカンダルに残ろうとした自分だけを考える藪のように)
(物語のはじめは彼の息子への気持ちもあったようだが、守のことでは息子のことは個人レベルを超えたのであろう。
もちろん、深い個人レベルではなぜ「古代(守)だけが生きているのだ(怒)」と思うだろうが、
それは人間の親として乗組員だけでなくガミラスの人々をも殺してまで地球を救ったおのれとしては、当然の犠牲であるであろうし、人の親として悲しみや、比較的悪としても他の星(ガミラス星人)の人々を滅ぼした事はは如何ともしがたいだろう。)
(古代がガミラス本星の戦いの後、雪に語った内容のように考えたとするのが制作者の意図だろうから))
また、古代進の「わかったような気がします」と言うのもいいではないか。
しょせん18才ではわかるはずがないのをそういわせるのも脚本家の妙じゃないか。
(私が初めて見た当時は一桁、いまでさえ40才前だが、今となっては深い意味が想定される)
ま、その後の雪への思いの告白はガキそのものだが(だが、偽りない若者の心だと思う)
この最後の後半では「戻ってきたぞー」が、
一部の若者、そして私の「心」であろう。
ま、わたしは、テレビ版(映画版も大体においては)と、
この続編たる映画版「さらば・・・」の二つこそが、私にとってのヤマト思想の中心である。
(「ヤマト」ファンの内の何割かしかいないテレビ版・「さらば宇宙戦艦ヤマト」ファンはいるかもしれない。
ただ、『完結版』で沖田さんが出てきた時、
『死んだ野郎がでてくるとは、なぜだ、なんでやねん』と思ったよりなぜだか涙の出てきた私
を共感してくれる人が好きだなぁ 笑」
あ、テレビ版の最後で勝てたのは、空間磁力メッキが「真田の功績」のようだけどね 笑
半分でも私の考えを肯定してくれる人がいるかなぁ?
ちと飲み過ぎたのでここまで
私自身、当時ガキだったので古代進ほどわからなかったが、
結婚した今は、イスカンダルに残った守の気持ちもわかるなぁ〜
愛する人のためか・・・泣けるねぇ〜
よく考えれば、笑える。
デスラー艦がヤマトの横っ腹にぶつかったのは。
ま、そして軍人としての素養があればデスラーがその状況を利用したのは当然であろう。
しかし、雪を死なせたのは泣ける。(まあ、後半につなげる為だったのにはいいが・・・ 誰の演出かわからないが好きである。「さらば」につながり得るから・・・。
まあ、沖田艦長の子息が生き返らないのは別だが。
(ま、古代守のみならず、彼まで生き延びたら「宇宙戦艦ヤマト」に失望するが 笑)
古代は個人レベル。(所詮今の私もここだが)
しかし、沖田のレベルは、個人を超えている。(ま、でなきゃイスカンダル往復の為の艦長(司令官)にはなれないだろう イスカンダルに残ろうとした自分だけを考える藪のように)
(物語のはじめは彼の息子への気持ちもあったようだが、守のことでは息子のことは個人レベルを超えたのであろう。
もちろん、深い個人レベルではなぜ「古代(守)だけが生きているのだ(怒)」と思うだろうが、
それは人間の親として乗組員だけでなくガミラスの人々をも殺してまで地球を救ったおのれとしては、当然の犠牲であるであろうし、人の親として悲しみや、比較的悪としても他の星(ガミラス星人)の人々を滅ぼした事はは如何ともしがたいだろう。)
(古代がガミラス本星の戦いの後、雪に語った内容のように考えたとするのが制作者の意図だろうから))
また、古代進の「わかったような気がします」と言うのもいいではないか。
しょせん18才ではわかるはずがないのをそういわせるのも脚本家の妙じゃないか。
(私が初めて見た当時は一桁、いまでさえ40才前だが、今となっては深い意味が想定される)
ま、その後の雪への思いの告白はガキそのものだが(だが、偽りない若者の心だと思う)
この最後の後半では「戻ってきたぞー」が、
一部の若者、そして私の「心」であろう。
ま、わたしは、テレビ版(映画版も大体においては)と、
この続編たる映画版「さらば・・・」の二つこそが、私にとってのヤマト思想の中心である。
(「ヤマト」ファンの内の何割かしかいないテレビ版・「さらば宇宙戦艦ヤマト」ファンはいるかもしれない。
ただ、『完結版』で沖田さんが出てきた時、
『死んだ野郎がでてくるとは、なぜだ、なんでやねん』と思ったよりなぜだか涙の出てきた私
を共感してくれる人が好きだなぁ 笑」
あ、テレビ版の最後で勝てたのは、空間磁力メッキが「真田の功績」のようだけどね 笑
半分でも私の考えを肯定してくれる人がいるかなぁ?
ちと飲み過ぎたのでここまで
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