八千代市北部から富士山が見えるビューポイント ― 2008年03月01日 01時28分16秒
以前、印西のジョイフルホンダからの帰り道に神尾橋にさしかかる前から夕焼けを背景に富士山が見えたのをきっかけに新川東岸からの富士山の見えるところをしらべていました。
そして先日写真に納めることが出来たので、これを紹介すべく、先ほど、八千代市の北部から富士山の見える場所をマップにしてみました。
近々手直しの上、ホームページにPDF等で公開したいと思います。
それ以外にも、仕事の合間に歴史散歩等をいろいろしておりますので、その訪問記を綴っていきたいと思います。ブログの手軽さからホームページに載せていない過去の記録も公表していこうと思います。
さて、上記の独り言を書いてみたものの、このようにブログを始めてしまったが、何を書いたらいいのかな。
ま、そのうちなんとか、な〜る、だろぉ〜
(さらに独り言・・・)
そして先日写真に納めることが出来たので、これを紹介すべく、先ほど、八千代市の北部から富士山の見える場所をマップにしてみました。
近々手直しの上、ホームページにPDF等で公開したいと思います。
それ以外にも、仕事の合間に歴史散歩等をいろいろしておりますので、その訪問記を綴っていきたいと思います。ブログの手軽さからホームページに載せていない過去の記録も公表していこうと思います。
さて、上記の独り言を書いてみたものの、このようにブログを始めてしまったが、何を書いたらいいのかな。
ま、そのうちなんとか、な〜る、だろぉ〜
(さらに独り言・・・)
守谷城・高井城 ― 2008年03月05日 23時14分43秒
3月5日水曜日
私の調査研究活動の一環として、今日は茨城県守谷市の守谷城、取手市の高井城に行ってきました。
本当は、千葉県印旛郡印旛村の師戸城・成田市の成田山新勝寺の梅開花の状況を確認しようとしてきたのですが、気まぐれで上記の行程に変えました。(ちなみに、2月22日の師戸城、25日の成田山はだいたい2分咲き程度でした。日なたは5分以上でしたが、10日以上経った今はどうなのかな・・・)
さて、
まず、守谷城は昨年夏頃に初めて初めて訪問した際と比べて公園としての整備は進んで今強いたが、それよりも周辺の新興住宅地の発展にびっくりしました。
城址公園駐車場から南西側に新築住宅がほとんどくまなく建築されていました。わずか半年程度でずいぶん発展したな、と思いました。
守谷城、高井城共にある程度整備され、散歩がしやすかったです。
前回行った夏場は雑草が茂り、蛇の心配から足を踏み入れ辛かったものの、冬枯れの時季(5日は啓蟄であり冬枯れとは正式には言えませんが)には、各城郭関係書物に書いてあるように、寒い時期の散策がベスト(ベター?)だと再確認しました。
他には、茨城百景岡堰(江戸時代初期伊奈氏が携わった)にも行きました。
と、観光案内としては情報が足りませんが、あくまでも私の調査研究の一環(いずれHPで)ですのでご勘弁を。
そうそう、今回行った場所には梅はなかったようです。(城探検が中心とはいえ梅林を期待していたのですが・・・)
私の調査研究活動の一環として、今日は茨城県守谷市の守谷城、取手市の高井城に行ってきました。
本当は、千葉県印旛郡印旛村の師戸城・成田市の成田山新勝寺の梅開花の状況を確認しようとしてきたのですが、気まぐれで上記の行程に変えました。(ちなみに、2月22日の師戸城、25日の成田山はだいたい2分咲き程度でした。日なたは5分以上でしたが、10日以上経った今はどうなのかな・・・)
さて、
まず、守谷城は昨年夏頃に初めて初めて訪問した際と比べて公園としての整備は進んで今強いたが、それよりも周辺の新興住宅地の発展にびっくりしました。
城址公園駐車場から南西側に新築住宅がほとんどくまなく建築されていました。わずか半年程度でずいぶん発展したな、と思いました。
守谷城、高井城共にある程度整備され、散歩がしやすかったです。
前回行った夏場は雑草が茂り、蛇の心配から足を踏み入れ辛かったものの、冬枯れの時季(5日は啓蟄であり冬枯れとは正式には言えませんが)には、各城郭関係書物に書いてあるように、寒い時期の散策がベスト(ベター?)だと再確認しました。
他には、茨城百景岡堰(江戸時代初期伊奈氏が携わった)にも行きました。
と、観光案内としては情報が足りませんが、あくまでも私の調査研究の一環(いずれHPで)ですのでご勘弁を。
そうそう、今回行った場所には梅はなかったようです。(城探検が中心とはいえ梅林を期待していたのですが・・・)
9日の記録 ― 2008年03月09日 01時15分58秒
今日(というか8日)はせっかくのいい天気だったけど、仕事明けで午後しか時間がなかったため、歴史散歩はしなかった。(9日も午前中から仕事だ・・・泣)
かわりにいま行っている机上調査を進めた。
それは、
・城、寺社の位置を地図に落とすこと
・関東戦国史等の書籍の文章を視覚化すること
から人の通った道の推定をすることである。
今日までに
・茨城の城郭
・東葛の中世城郭
・房総の城郭
の各城の場所を地図(ゼンリン電子地図帳Zi10)に落とす作業がほぼ終わった。
ただ、著作権・許諾の関係でその作成した地図はHPには出せないが・・・
ほかにも
・関東戦国史の城(関東諸城要害地位置図は終了)・寺社の位置情報、
・茨城県の歴史散歩の紹介箇所の位置情報
・千葉県の歴史散歩の紹介箇所の位置情報
を地図に落とす作業を進めている。
この作業からまず位置情報(2次元)が得られるが、いずれ2万5千分の1の地形図に落とし直す。
これで地形からの情報(3次元)も得られるようになる。
そうすればさらに推定の精度が上がるのではないかとおもう。
(最終的には明治初期の迅速測図に落とせればベストであるが。)
また、
近世の街道
鎌倉街道
古代道路
を地図に落とすこともしていくつもりである。
とりあえず、作業の進み具合はブログで報告するとして、
まずは、かつて実走調査した「ふるさと再発見八千代の道しるべ」の地図をHPに公開していく予定である。
では、今回はこれにて。
かわりにいま行っている机上調査を進めた。
それは、
・城、寺社の位置を地図に落とすこと
・関東戦国史等の書籍の文章を視覚化すること
から人の通った道の推定をすることである。
今日までに
・茨城の城郭
・東葛の中世城郭
・房総の城郭
の各城の場所を地図(ゼンリン電子地図帳Zi10)に落とす作業がほぼ終わった。
ただ、著作権・許諾の関係でその作成した地図はHPには出せないが・・・
ほかにも
・関東戦国史の城(関東諸城要害地位置図は終了)・寺社の位置情報、
・茨城県の歴史散歩の紹介箇所の位置情報
・千葉県の歴史散歩の紹介箇所の位置情報
を地図に落とす作業を進めている。
この作業からまず位置情報(2次元)が得られるが、いずれ2万5千分の1の地形図に落とし直す。
これで地形からの情報(3次元)も得られるようになる。
そうすればさらに推定の精度が上がるのではないかとおもう。
(最終的には明治初期の迅速測図に落とせればベストであるが。)
また、
近世の街道
鎌倉街道
古代道路
を地図に落とすこともしていくつもりである。
とりあえず、作業の進み具合はブログで報告するとして、
まずは、かつて実走調査した「ふるさと再発見八千代の道しるべ」の地図をHPに公開していく予定である。
では、今回はこれにて。
10日と11日 ― 2008年03月11日 00時09分39秒
今日(10日)は、「やちよの道しるべ」の地図の準備、1月14日に行われた吉橋歴史文化探訪会の「三山・田喜野井〜前原新田、二宮村を歩く」の地図の準備と明日11日の歴史散歩の準備に追われた。(現に、11日は朝早いのに0寺過ぎてブログを書いている・・・泣)
前二者は公開できる出来ではない。
では明日はどこに行くか・・・?
現段階では確定していないものの、候補は挙がっている。
1、「房総の城郭」にある安房の国の城郭巡り
2、群馬県の東毛地域(太田市を中心、伊勢崎の中毛も入るか)の歴史散歩及び町並み調査
を検討している。
どちらにするかは、朝起きたときの気分で決めようと思う。
明日ブログにて報告を綴ろうと思う。
さて、そのために持ち物等の準備をもう寝なければならない時間だが、
しなければならないので、ブログを終わることにしようかな。
前二者は公開できる出来ではない。
では明日はどこに行くか・・・?
現段階では確定していないものの、候補は挙がっている。
1、「房総の城郭」にある安房の国の城郭巡り
2、群馬県の東毛地域(太田市を中心、伊勢崎の中毛も入るか)の歴史散歩及び町並み調査
を検討している。
どちらにするかは、朝起きたときの気分で決めようと思う。
明日ブログにて報告を綴ろうと思う。
さて、そのために持ち物等の準備をもう寝なければならない時間だが、
しなければならないので、ブログを終わることにしようかな。
いい加減ブログ ― 2008年03月12日 09時57分17秒
さて、
結局、房総半島に向かった。
目指したのは、
宮本城、不寝見川番所、瀧田城、白浜城である。
宮本城は、道の駅「おおつの里」の近くにあり
ここの駐車場を利用するといい。
宮本城跡への看板があり、入口はすぐわかるはずである。
ただ、時間もなく城跡へは今回は登らなかった。(言い訳として私は学際的調査研究を目指すが、中世・中世城郭の専門家ではないので・・・、)
それよりも重要なこととして今日の最大の教訓は、
「現場に行ってみなければわからない」(物であれば「実物を見、触ってみなければわからない」)ということである。
これは博物館学などで誰もが言っていることであるし私も理解していることではあるが、
いつも確認させられるものである。
それこそ私の目指す完璧な3Dモデルなどで再現されていれば別だが、
地図上だけで云々かんぬん言っていても現実はわからないものである。
というのは、後述する滝田城とつながる話であるが、
不寝見川番所へ向かう道路(犬掛館山線)は、宮本城と番所をつなぐ昔からの古道であると考え広い道なのかと思いきや、
現実に通ってみると青木山を超えると川を挟んだ急峻な崖の迫る普通乗用車一台が通れる狭い道と化していた。(もちろん地図上でも細くはなっているが)
これを見ると大規模な軍隊の移動はちょっと難しそうで、
同じ細い道ならば城山(宮本城のあるところ)から尾根伝いに瀧田城向かった方(谷と違って空から攻撃されることはないのだから 笑)が、
滝田城・番所方向への進出も楽ではないかと思う。
とすれば、犬掛館山線が中世からあった道かどうかは疑問になった。(もちろん、犬掛館山線の歴史を見ないとわからないが)
それより、下滝田の西之谷から城山へ向かう川沿い或いは尾根沿いの方が道としてふさわしいと感じる。(それこそ現実に言ってみないとわからないが)
次に向かったのは、不寝見川番所である。
ここは、富津館山線通っただけなので標識等はあるかないかわからなかった。
ここは伊予ヶ岳方向の山並みから犬掛の平地へ出る入り口に辺り、
岩井・富山の東京湾からの道と平久里からの道の交通の要衝でるのはわかる気がした。
次は、そのまま犬掛館山線を下って滝田城に向かう。
滝田郵便近くのJA安房上滝田出張所(看板が外され移転した模様)に看板がある。
ここには駐車場があり幾つかの曲輪等城の構造がわかる案内看板が置かれており整備されている。
ところが、メインの滝田城の案内は下滝田にある。
上滝田側は広めの駐車場やトイレ、中腹には朱塗りの展望台と至れり尽くせりであるが、
「房総の城郭」にあるとおり、城外の尾根道で歩きやすいだけである。
どうせ滝田城を目指すなら下滝田側のルートを選ぶべきである。
(地図・写真で示せないのがつらい・・・泣)
昼食後、稲村城へ向かった。
準備不足で最終的に見てはいたものの認識できなかった。
地図を忘れたので、てっきり八雲神社・妙長寺が裾野にある九重駅北側の丘陵(二子の方)を城跡と勘違いしてしまい、
こちらを写真に撮り、貴船神社側の稲村城のある丘陵を眺めるだけで終えてしまった。
責任転嫁をさせてもらえれば、「房総の城郭」(だけでなくほかの多くの情報源が)にある概念図等が狭い範囲しかなく、
現在地をつかみづらいという問題点があるように思う。(もちろん地図の許諾等であえて出来ていないと善意解釈したいが・・・)
最後の白浜城は時間がなく、道の駅「白浜野島崎」から眺めるだけで終わった。
ところで、道の駅「白浜野島崎」は何度か言っているが、秋の時期はとても寂しかったが、
この時期はお花摘みなどが行われていて少しは明るく見えた。(ただ、相変わらず人は少ない・・・)
しかし、来るたびに写真展をしているようで、今は「海女」の写真展を実施している
縷々書いてきたが、地図と連動させた報告ではないと全く意味・内容が伝えられないことに、
私の文章の稚拙さとパソコンを使った表現の技術のなさに泣けてくる・・・
できるだけ、HPで写真付き報告をしたいが時間的に無理か・・・泣
では、
今日の、いい加減ブログはここまで。
結局、房総半島に向かった。
目指したのは、
宮本城、不寝見川番所、瀧田城、白浜城である。
宮本城は、道の駅「おおつの里」の近くにあり
ここの駐車場を利用するといい。
宮本城跡への看板があり、入口はすぐわかるはずである。
ただ、時間もなく城跡へは今回は登らなかった。(言い訳として私は学際的調査研究を目指すが、中世・中世城郭の専門家ではないので・・・、)
それよりも重要なこととして今日の最大の教訓は、
「現場に行ってみなければわからない」(物であれば「実物を見、触ってみなければわからない」)ということである。
これは博物館学などで誰もが言っていることであるし私も理解していることではあるが、
いつも確認させられるものである。
それこそ私の目指す完璧な3Dモデルなどで再現されていれば別だが、
地図上だけで云々かんぬん言っていても現実はわからないものである。
というのは、後述する滝田城とつながる話であるが、
不寝見川番所へ向かう道路(犬掛館山線)は、宮本城と番所をつなぐ昔からの古道であると考え広い道なのかと思いきや、
現実に通ってみると青木山を超えると川を挟んだ急峻な崖の迫る普通乗用車一台が通れる狭い道と化していた。(もちろん地図上でも細くはなっているが)
これを見ると大規模な軍隊の移動はちょっと難しそうで、
同じ細い道ならば城山(宮本城のあるところ)から尾根伝いに瀧田城向かった方(谷と違って空から攻撃されることはないのだから 笑)が、
滝田城・番所方向への進出も楽ではないかと思う。
とすれば、犬掛館山線が中世からあった道かどうかは疑問になった。(もちろん、犬掛館山線の歴史を見ないとわからないが)
それより、下滝田の西之谷から城山へ向かう川沿い或いは尾根沿いの方が道としてふさわしいと感じる。(それこそ現実に言ってみないとわからないが)
次に向かったのは、不寝見川番所である。
ここは、富津館山線通っただけなので標識等はあるかないかわからなかった。
ここは伊予ヶ岳方向の山並みから犬掛の平地へ出る入り口に辺り、
岩井・富山の東京湾からの道と平久里からの道の交通の要衝でるのはわかる気がした。
次は、そのまま犬掛館山線を下って滝田城に向かう。
滝田郵便近くのJA安房上滝田出張所(看板が外され移転した模様)に看板がある。
ここには駐車場があり幾つかの曲輪等城の構造がわかる案内看板が置かれており整備されている。
ところが、メインの滝田城の案内は下滝田にある。
上滝田側は広めの駐車場やトイレ、中腹には朱塗りの展望台と至れり尽くせりであるが、
「房総の城郭」にあるとおり、城外の尾根道で歩きやすいだけである。
どうせ滝田城を目指すなら下滝田側のルートを選ぶべきである。
(地図・写真で示せないのがつらい・・・泣)
昼食後、稲村城へ向かった。
準備不足で最終的に見てはいたものの認識できなかった。
地図を忘れたので、てっきり八雲神社・妙長寺が裾野にある九重駅北側の丘陵(二子の方)を城跡と勘違いしてしまい、
こちらを写真に撮り、貴船神社側の稲村城のある丘陵を眺めるだけで終えてしまった。
責任転嫁をさせてもらえれば、「房総の城郭」(だけでなくほかの多くの情報源が)にある概念図等が狭い範囲しかなく、
現在地をつかみづらいという問題点があるように思う。(もちろん地図の許諾等であえて出来ていないと善意解釈したいが・・・)
最後の白浜城は時間がなく、道の駅「白浜野島崎」から眺めるだけで終わった。
ところで、道の駅「白浜野島崎」は何度か言っているが、秋の時期はとても寂しかったが、
この時期はお花摘みなどが行われていて少しは明るく見えた。(ただ、相変わらず人は少ない・・・)
しかし、来るたびに写真展をしているようで、今は「海女」の写真展を実施している
縷々書いてきたが、地図と連動させた報告ではないと全く意味・内容が伝えられないことに、
私の文章の稚拙さとパソコンを使った表現の技術のなさに泣けてくる・・・
できるだけ、HPで写真付き報告をしたいが時間的に無理か・・・泣
では、
今日の、いい加減ブログはここまで。
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